子どもはみんな...
子育てを始めて8年半。息子が生まれた日のことは、もはや遠い日の思い出。娘(5歳)も、もう全く赤ちゃんではない。俺にとっては、小さな子どもを連れて奮闘する微笑ましい新米パパの時代はすでに終わった。
このブログは純粋な「子育てブログ」ではなかったので、育児ネタはついつい後回しになり、書きそびれたこともいろいろある。
そもそも育児って、次から次にネタになりそうなことが起こりすぎて、とてもじゃないけどブログが追いつかないのだ。
PCのメモ帳にはせっかくメモが残っている。『育休編』の終了にあたり、今までの子育てで感じたことを最後にいくつか書き加えておこう。
子どもはみんな国際人
「NOと言えない日本人」などと言われるが、うちの子どもを見ていると決してそんなことはない。欲望と自尊心の塊、相手の都合よりも自分の都合。安易にYESといわない、謝らない。少しでも自分が得をするよう、いつでも頭をフル回転させている。
親に対して圧倒的に弱い立場でありながら、この気概と外交術。このまま行けばもう立派に国際人だ。奥ゆかしい日本人的性格は、成長とともに育まれる後天的なものなのですね(笑)。
子どもはみんな大物政治家
言った事も言わないと言い、言わない事も言ったと言う。真顔でね(笑)。都合の悪い約束は忘れ、有利な約束は絶対に守らせる。逆ギレ、恫喝、泣き落とし... なんと立派な政治家気質。
娘が3歳の頃、風呂上りに素っ裸で走り回る娘に「パンツはいたの~?」と言ったら「はいた~」と...
お出かけ前、娘を念のためトイレに座らせ、ちょっとその場を離れる俺。案の定、トイレからは「シャ~♪」というおしっこ音。俺が戻ってきて「おしっこ出た?」と聞くと「出なかった」と...
指示待たない人間
よく新入社員などが「指示待ち人間」などと批判されているが、うちの子どもたちは全く逆。何か新しいことに挑戦するとき、ちょっと説明し始めただけで「あ、わかった、わかった」とすぐに自分でやりはじめてしまう。「まずは説明させろ」「まずは俺が見本を見せる!」と思うのだが、子どもたちは待てない。
アドバイスにも耳を貸さない。折り紙、オセロ、縄跳び、ピアノ... ちょっとでもコツを教えようものなら、「知ってる!」と機嫌を損ねる。どうしても教えたい場合は、腫れ物に触るように、下からそ~っと、でなくてはならない。
サッカーも野球も相撲も自分勝手。基本ルールさえ受け入れない。俺が「こういう時はこうだよ」と言っても「いいのっ!」と言ってマイ・ルールを作り出す。そのルールに則って、しかも9:1の割合で勝たせてあげないと、泣いて終わりになってしまう。俺は遊んでいてもつまらない(苦笑)。
ホント教えられるのが嫌い。効率よく正解に導いてやろう、真の面白さを教えてやろうという大人の優しさは、たいていの場合徒労に終わるか逆効果だ(泣)。
指示待ち人間。これもまた、成長とともに育まれる後天的なもののような気がする。
子どもはみんな天才(?)
ベタな話だが、やはりそう思うことがたまにある。子どもは何が楽しいか、何がつまらないか、すべて知っているのだ。自分が輝くために、最高の気分で生きるために、一直線に進んでいく。
他人との競争なら天才は一握り。でも自分の中にある最高を発揮する力は、どんな子どもも持って生まれてきているのだ。
息子が2歳か3歳、保育園のハシゴ的な遊具で遊んでいたときのこと。息子は隣で同級生が最上段まで登っているのをまるっきり無視して、わずか2段目あたりから、「見て見て~、すごいでしょ!」って(笑)。すぐに他人と比べてしまう俺にとって、息子のあのマインドは感動だったな。(関連記事:『印象的な光景』)
子育ては楽しい。
上述のような出来事を通して、人間とは本来どういう生き物なのかを垣間見ることができるし、わが子の厄介な性格を見て、「これって俺のDNA?」と自分を再発見することもある。
子どもの成長を1つずつ追体験することで、何だか俺も、もう一度人生をやり直しているような気分になるし、それは一度見た映画をもう一度見るように味わい深い。
子どもと年がら年中一緒にいて、怒ったり笑ったりしていると、俺も案外、子どもと変わらないなと思うことがある。つまらないことで張り合ったり、いじけたり、はしゃいだり... もしかしたらそのどれもが、俺の個性、輝き、なのかもしれない。
「育児を通して人生を哲学するブログ」はもうすぐ終わるが、これからもまだまだ学ぶことは多そうだ。
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