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2013年1月23日 (水)

わが家のバイリンガル教育

これまた2年ほど前、下書きだけ用意していた記事。

   *   *   *   *   

子どもが生まれて多くの親が見る夢。その上位には恐らく「わが子をバイリンガルに!」が来るのではないだろうか。特にそこそこ英語を勉強してきた人なら、どうしてもネイティブのようになれないもどかしさから「せめてわが子には!」と思うのだろう。お恥ずかしい話、まあ、俺もその口で...(苦笑)。

以下、わが家のバイリンガル教育について書いてみる。


1)息子の場合

生まれる前から妻のお腹に向かって英語で話しかけていた。生まれてからはミルクをあげたり添い寝をしながら「英語で子育てできる本」やら「子育て英語表現500」のような本を熟読。あわよくば自分も(まさしくゼロから勉強し直して)バイリンガルになってやろう、などと思いながら。

「子どもをバイリンガルにする方法」的な本を何冊か読んだ後、最終的に俺が一番いいと思って選んだのは「英語の絵本100冊読み聞かせ」。1ページに1文か2文で、全体で10数ページの薄い絵本が100冊。これを子どもが暗唱するくらいまで読み聞かせる。これなら親子でコミュニケーションを取りながら無理なく続けられると思った。CDもついているので、毎日聞かせて自然に脳裏に染み込ませ...

はじめは順調だった。息子(当時1歳ぐらい)はほとんど無抵抗で、俺が決めたスケジュール通りに事は進んだ。そのうちムニャムニャと口真似するようになり「お、さすが赤ん坊、ネイティブっぽいぞ!」なんて(完全に親バカ、笑)。


ところが2歳をすぎて本格的に言葉(日本語)をしゃべるようになると、バイリンガル教育は徐々に困難になってきた。子どもは本能的にわかるのだろう。英語が自分に必要かどうか。そりゃそうだ。日本語は覚えれば覚えるほど自分の欲望を表現できる。自分が快適に過ごせるように、あーしろこーしろと要求することができるのだ。一方、英語のほうは単なる遊びでしかない。機嫌の良いときは遊んでやってもいいが、まずは「飯、糞、寝る!」だ。

それでもしばらく俺は頑張った。息子の機嫌の良いときを見計らって誘ったり、寝る前の儀式化してみたり。せめてCDだけでもかけたり。英語の本を読もうとすると微妙に嫌な顔をする息子を見て「やばいなあ」とも思ったのだが、機嫌の良いときには本当に楽しそうに英語を真似するので「まだ行ける!」と思ったり。俺が忙しくてあまり息子を遊んでやれないと、逆に息子のほうから絵本を持ってきて「ニヤリ」とか...(笑)。そんな一進一退の攻防が続いた。


でもそもそもはじめにこれだけは決めていた。「嫌がったらやめる」と。習い事の基本だ。そもそも俺だって、何が何でも絶対になどとは思っていなかった。強要したがために逆に苦手意識だけが植え付けられるという話はよく聞く。

当時ちょっとだけつけていたノート『ひなた プチ・バイリンガル計画』の冒頭にもこんなことが書いてある。

完璧なバイリンガルを目指すわけではない。
それは無理だし、アイデンティティの不安定につながる。

あくまで外国語として英語をマスターしてほしい。
日本人として堂々と世界の誰とでもコミュニケーションのとれる明るい人になってほしい。

過程を楽しむ。結果的に失敗してもいい。
親子で楽しく英語でコミュニケーションをして思い出をつくる。


そんなある日、ほんのちょっと、ほんのちょっとだけ無理やり英語の本を読もうとした。そして息子がキレた。泣いて怒って、それ以降、英語の絵本には拒絶反応。

やってしまった...(苦笑)。

嫌がったらやめよう、嫌がったらやめよう、そう思っていたのだが、ほんのちょっと、ほんのちょっと、引くのが遅れた。

かくして息子のバイリンガル教育は、小さな傷を残してほろ苦く終了。以来現在に至るまで、息子は英語をまったくやっていない。もうすっかりそんなことは忘れ、何も無かったかのようだ。傷は完全に癒えたと思われる。でももういい。あとは自分からやりたいと言うまで待とう。


ちょうど息子のバイリンガル計画が失敗に終わる頃だっただろうか、自分の翻訳の勉強を進めながら、ある本に出会った。

 『学校英語よ、さようなら』 (辻谷真一郎・著)

その後、この本が俺の英語人生を揺るがすわけだが、それはまた別の機会に話そう。

子どもにとって言葉がいかに大切か... 息子が生まれたとき、俺の母親からプレゼントされた本がある。

 『わが子に伝える「絶対語感」』 (外山滋比古・著)

言葉は心。心は言葉なのだ。

ま、薄々とは感じていたが...

というわけで今現在、子どもへの過度の英語教育に俺は否定的だ。


2)娘の場合

とはいうものの...(笑)

せっかく息子のときに買った英語絵本があるので(えこひいきは良くないし)、一応、娘にも同じことをやっている。

風呂でも肩までお湯につかって10まで英語で数える。10まで覚えたら次は20まで...

息子のときの失敗があるので俺の気合いは半分以下なのだが、娘はけっこう絵本に興味を示している。英語と日本語の文字や雰囲気の違いがわかるようだ。俺が読み聞かせなくても自分で本を取り出して、英語っぽいイントネーションで適当に「れろれろれろ...」と音読する(笑)。息子には無かった行動だ。俺と妻がびっくりして褒めそやすと、ちょっとだけ「ニヤリ」としてクールに読み進める娘。

才能あるのかも... (淡い期待、笑)

娘が英語の本を読むと、なんで嬉しいのだろう。日本人なのに... やはり俺も、か弱き庶民なのだろう...

   *   *   *   *   

これを書いた頃から2年、結局娘の英語もフェードアウトし、今はまったく子どもたちに英語は教えていない。俺が洗濯物を干しながら海外ドラマ(『glee』とか)を見ていると、「お父さん英語好きだなあ」などと文句を言われている(苦笑)。

最近は俺自身、英語に疲れてしまった。使う場のない英語。使う必要のない英語。使う勇気もない...

英語オタクのコンプレックスを根底に抱えながら、あてのないイメージトレーニングを繰り返す日々。もはやそれは英語の問題ではなく、俺の人間としての自信の問題。そのためにも俺は、シンガーソングライターにならなくてはいけない...

俺にとって英語って何なのだろう。日本人にとって英語って。音楽活動が一段落ついたら、いつか語ってみたい。


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