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2013年3月

2013年3月28日 (木)

主夫について今思うこと

ここ数年、ブログ内外で思索してきた「主夫」という生き方...
最後に、今まで書かなかったこと、そして今現在の俺の心境をエラそうに語っておこう(笑)。


主夫に至る経緯

結婚前、俺は無職、妻はすでに現在の安定した仕事に就いていた。別に「養ってもらおう」とは思わなかったが、「養わなくていいな」とは思った(笑)。何かしら文学的・芸術的なことをしたいと思っていた俺にとって、この「養う責任がない」というのは好都合。「いぇ~ぃ、男女平等、最高~!」と思った。

さらに、そういうヒモ的な生活というのは誰にでもできるものではない。カッコいいと思った(参考記事:『ズレはじめたのは』)。自分の平凡さが嫌で、大学時代から少しはバカをやっていたが、まだまだアーティストとしてのインパクトが足りないと思っていた俺は、「よし、これで俺もいよいよ個性が出てきたぞ」とほくそ笑んだ(バカ)。

ところが結婚後、なぜか人生で初めて就職してしまった俺(意気地なし!笑)。「作家の卵」と結婚する覚悟だった妻は、肩すかしを食ったようで納得がいかなかったという。ただ幸い、入った会社はとても「グレー」で、俺は5ヶ月間、力尽きるまで働いた後にめでたく退職(苦笑)。その後、中高生の頃に好きだった英語を仕事にしようかと思って勉強を始めた。たぶんこのときが俺の事実上の主夫生活の始まりだろう。

週に1~2回、某英語学校に通い、週に2~3回、夕方から塾講師のバイト。それ以外はずっと家で勉強していた。家事はたぶん 7:3 で俺がやっていたが、主夫というよりは「苦学生」「浪人」という気分だった。生活費はほぼすべて妻持ち。俺はバイト代から2~3万を家計に入れていた。

3年ぐらいかけて通訳ガイドの資格と英検1級を取ったが、それと就職能力とは別(苦笑)。積極的に外で働く気になれない俺は、塾講師を続けながら速読や右脳開発、経済、微分積分の勉強などに一時的にハマっていった。傍から見たら完全に暇人(笑)。思えば妻は俺のこの宙ぶらりんな状態によくぞ無頓着でいてくれた...

このとき33か34歳。結婚して5、6年。不思議なことに、この頃まで「家族計画」のことはまるで考えていなかった(計画好きな俺なのに)。それほど英語に(自分探しに?)夢中だったのだろう。ふと我に返った俺は「子どもを作らなくては!」と思った。

で、子どもが生まれると、俺の迷えるモラトリアム生活は一変。「俺の人生どうしようか」という悩みは一気に吹き飛び、無我夢中で息子のお世話に励んだ。楽しかった。大学時代以来、久々に訪れたキラキラと輝いた日々。間違いなく人生最良のときの1つだったろう。

9ヶ月で妻が職場復帰してからは、いよいよ家事・育児は 9:1 で俺の担当に。こうなると「これはどう見ても主夫だろぉ?」と思った。妻との会話で「主夫」という言葉が出るようになったし、このころ始めたパンクバンドブログのプロフィールにも「主夫」と書くようになった。

ただ対外的には「塾講師」ということにしていた。バイトだろうが週2回勤務だろうが、「塾で英語を...」「へ~、すごいですね~」「いやいや大したことないんです...(汗)」と。

その後、子育てのしやすさや子どもを保育園に入れる関係で、在宅の産業翻訳者になったが、これもどんなに収入が少なかろうと、「家で翻訳を...」「へ~、すごいですね~」「いや~大したことないんです...(汗)」と。

たまには「まあ、主夫みたいなもんです(笑)」と添えることもあったが、決して「みたいな」を外すことはできなかった。今でもそうだ。何というか、意気地なし!なのである。

やがて2人目(娘)が生まれると、そんな「しょぼい」仕事でさえ、育児との両立が難しくなった。俺の悪い癖なのだが、本来簡単なはずの仕事にも200%全力投球してしまうのだ(苦笑)。首は凝るし、ストレスも溜まる。そして人生のお悩みも溜まってゆく...

そんなとき、ネットで初めての主夫友ムーチョさんに出会った。主夫のオフ会に参加し、初めて同類に会えたあの安心感... そのとき、俺ってやっぱり主夫なんだな~と実感した。その後、主夫の家族会にも行き、個人的な主夫仲間も何人かできた。こうなるともう、身も心も完全に主夫だ(笑)。

去年の暮れには英語の仕事も完全に辞め、晴れて完全な専業主夫に格上げ(笑)。ブログ村でもお馴染みの?押しも押されもせぬ正真正銘の主夫になったのである。


主夫としてのスタンス

もし誰かに「主夫ってどう?」と聞かれたら「いいですよ~」と答えたい。「大変でしょう?」と言われても「いや、楽ですよ、ははは(笑)」と。人にもよると思うが、俺にとっては仕事をするよりも主夫のほうが100倍楽なのだ。何より家庭内では、めいっぱい自分が出せるのが嬉しい。

仕事内容も簡単だ。今は生協の宅配や Cook Do がある。食器洗浄機もある。子ども手当てもあるし、保育園や幼稚園も充実したカリキュラム。ありがたい時代だ。

楽することに罪悪感を持つ必要はない。人類は楽をするために文明を発達させてきたのだから、それが叶った今、楽できる人から楽をすればいい。わざわざ苦しい思いをすることはない。

一般社会(俗世)ってところは嫌なこともしなくちゃならないし、ストレスも多いと聞く。その点、社会と一線を画して自分の好きなように生活を組み立てられる主夫は、ある意味、新たな特権階級(笑)。まさに「隠れて生きよ」(by エピクロス)。人々の盲点をついたニッチで幸せなポジショニングなのだ。

まあ実際、あまり打ち解けていない相手(今後も打ち解けそうにない相手)に「主夫ってどう?」と聞かれたら、「まあ何かと大変ですよ...とほほ(苦笑)」と答えるかもしれない。あまり羨ましがられるのも何なので、そこらへんは微妙にお茶を濁すだろう。

しかし願わくば、近い将来、「みんな主夫になりなよ~♪」と堂々と勧められるようになりたいのだ。


主夫の辛いところ

これはもう精神的な問題に尽きる。

俺は決してマッチョな性格ではなく、どちらかと言えば心根の優しい家事・育児には向いているタイプ。しかしそんな俺ですら、何かこう、自分の中の「男」の部分がうずくのだ。DNAの問題なのか、男社会の歴史的な重みなのか、とにかく、どんなに日々の暮らしに幸せや感謝を感じても、自分の中で100%は満足できない。闘争本能、自己顕示欲、向上心、成功願望... 「うぉぉぉ~、やったぜぇ~!happy02」という瞬間をいつも夢見てしまうのだ(笑)。

主夫には猛烈なストレスはないが、この手の欲求不満にじわじわと蝕まれることはある。やはり常に、精神衛生には気を使っていなくてはならない。

お金にならなくてもいい。どこかで、何かで、存在感を示したい。一流を目指したい。バカな男は一生「快楽」を求めてあがき続けることだろう。
 

あとは、日常生活の中で「仕事仲間」がいないのもちょっと寂しい。ごくたまに主夫仲間と会うことはあるにしても、それは特別な「同業者交流会」であって、日常的に誰かと協力したり相談したりするわけではない。誰からも怒られない代わりに誰からも褒められない、ノープレッシャー・ノーゲインだ。

今は妻が同僚や上司の役を一手に引き受けてくれているが、本来なら主夫は、子どもの学校や地域と協力関係を築くべきなのかもしれない。でもそんな立派な主夫は俺には荷が重い。そもそもそれは、俺が目指したカッコいい主夫像なのだろうか...

ただ、日々の生活圏内で本当の自分を出せないというのは辛い。理想としては、正々堂々「主夫です」と宣言した上で学校や地域には深入りせず、なのに「ちょっと変わってるけど良い人」ぐらいの高評価を得られれば... 甘いだろうか。

ちなみにママ友は... 勿論いません!(笑) 


主夫にも優遇措置を

子育て主夫になって8年半。恥ずかしさはしょっちゅう感じるが、俺が男だからということで特に差別や不便を感じたことはない。何か社会的な運動を起こそうと思っているならいろいろ感じるのかもしれないが、引きこもり的に主夫をしている俺からすれば、日本は実に平等な良い社会だ。

聞くところによると、主婦と違って主夫は遺族年金がもらえないらしいが... まあ、そのうち何とかなるだろう(ならない?笑)。

当たり前だが、男が家事・育児をすることは違法ではない。その点、勝手に路上ライブをやるよりは、よっぽど気が楽だ(笑)。恥ずかしさが襲ってきたときには「え?何が悪いの?」という気持ちで男女平等の権利を振りかざしていこう。

そんなわけで、社会に対しては特に文句はない。しかし主夫にとっての主な職場は家庭。主な交渉相手は妻だから、妻に対しては賃上げや待遇改善を要求する(笑)。

かつて女性の社会進出が進むにつれて「セクハラ」が問題になったように、男性の社会撤退を進めるなら、それなりの配慮や優遇措置が必要ではないか。「男のプライドを傷つけたら罰金一万円」とか... もちろん判断は傷つけられたほうの基準による(笑)。


ダメな主夫

俺の知る限り、主夫ってけっこう学歴が高い。よって意識や能力も高い場合が多い。あるいは一芸に秀でていて、主夫であることを除いても十分魅力的だったりする。俺も一時はそういう知的な兼業主夫を目指したのだが...

今どきの企業社会は厳しく、昔はお気楽だったサラリーマン(正社員)にも高い意識と能力が求められるようになってきた...

悩みがちでのんびりした俺のような人間は、どこに行っても劣等感だ。せめて主夫の世界は、大した能力がなくても楽しくやっていける世界になってほしい。

よくいるダメなサラリーマン。口を開けば仕事の愚痴ばかり。いつも辞める辞めると言いながら、辞める勇気も展望もない... それに相当するダメな主夫がいたっていいじゃないか、と思うのだ。みんながみんな優等生にはなれない。愚痴りながらも適当に、悲喜こもごも生きていける世界。

もし将来、主夫の裾野が広がってゆくとすれば、そういう「ダメ人間」(決して悪い意味ではない)が噂を嗅ぎつけて集まってくるときだろう。


ぶっちゃけ俺も...

主夫、できるなら辞めたい(笑)。

子どもの頃のように、また多くの男性が今もそうしているように、自分は仕事や勉強(好きなこと)に没頭し、身の回りのことはすべて「オカン」がやってくれるのなら、それに越したことはないからだ。

何かで一発当てたい。妻が仕事を続けるというのなら、お手伝いさんを雇おう。ついでに運転手も...

子どもたちとの時間は減ってしまうが、代わりに週末は美味しいものを食べに行こう。年に1度は旅行へ行こう...

バカな主夫の妄想は止まらない(笑)。


今、振り返ってみても...

結婚前に思っていたイメージと比べて、「こんなはずじゃ~」ってことは1つもない。思った通り、やはり俺の選んだ道はカッコよかった。

たまには落ち込むこともあるが、それは誰のせいでもない。俺の心がしぼんでいるせいだ。俺が堂々と心を開きさえすれば、世界は笑って俺(主夫)を迎えてくれる。

人とちょっと違ったことを言ったりやったりしながら、「俺って面白いな~」と心底自画自賛できる、そんな理想の暮らしは、すぐそこにある...


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         (最終回まであと5回!)

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2013年3月21日 (木)

愛の謎が解けて...

最近、夫婦喧嘩がめっきり減った。たぶん正月以来、大きな喧嘩はしていない。これには理由がある。今回はそれについて語ってみたい(笑)。

   *   *   *   *   *

そもそも妻は、大学時代から「生意気な」やつだった。何でも語り合える仲間ということの裏返しだから仕方がないが、2人で議論が白熱して周りの友だちが「まあまあまあ」と止めに入る、なんてこともよくあった。

それでも当時は本気でムカつくことはなかった。たぶん恋愛ドラマなんかでよくある主役の男と女が喧嘩ばかりしていて...という、まさにあれだ。coldsweats01 俺は嬉しいような恥ずかしいような「やっべ~な~」という気分で、妻とは意識的に距離を置いていた。

卒業後しばらくして付き合い始めてからも議論はよくした。よく覚えてないが、たぶん「もっとどっか連れて行け」などと言われていたような気がする。でも結婚しているわけではないので嫌なら別れればいい。俺たちは常にそんな危機感にさらされながらも結局は別れず、むしろ危機を乗り越えるたびに運命を感じていた。

結婚してからも議論はよくした。営業マン時代(わずか5ヶ月)には「帰りが遅い!」と文句を言われ、英語オタク時代には「勉強しすぎ!」と文句を言われた。本来、気質的に俺は仕事人間、妻は家庭第一人間なのだ。何をまかり間違ったのか(笑)。

子どもが生まれてからは、議論は口論、喧嘩、そしてちょっとした破壊行動へとエスカレートした(笑)。ストーブを蹴っとばして壊すとか、箸をボキボキに折るとか...(苦笑)。子育てに関してはお互いに譲れなかったのだ。何故だろう、俺は自分の主張が通らないと本気でキレていた。たぶん人生で一番大切なものに出会ったのだろう。

そして原発騒動... 2人の喧嘩量はピークに達した(参考記事 1. 2. 3. 4. 5.)。放射能汚染に関する見解の違い(妻はネットで裏情報を逐一チェック、俺はあえて表情報だけ見て楽観主義)から始まった喧嘩は、いつもお互いの人間性の否定にまで発展。言葉を尽くせば必ず分かり合えると思っていた2人の気持ちが、この時ばかりは完全に離れてしまっていた。

それでも俺たちは頑張った。これまで通り議論に議論を重ね、喧嘩に喧嘩を重ねて、何とか相手を自分に引き寄せようとした。2人は傷つけあい、かつてないほどボロボロになったが、それと引き換えに、お互いの深い闇の部分にまで議論を掘り下げることができた。

やがて世間の混乱が収まるにつれ、俺たちの喧嘩も徐々に減っていった。結局、大きな決断はせずに済んだ。

しかしこの騒動の余波なのか何なのか、俺のキレやすさだけは元に戻らなかった。何故だろう、俺は放射能とは関係ないことでもすぐにキレるようになってしまった。

40代の焦り? 主夫の負い目? 本当の自分を生きていないという息苦しさ? 自分のプライドが危機にさらされるようなことがあると過剰に反応していたのかもしれない。

こうなると弱いのは完全に俺のほうだ。一時期ハマっていた本『世界でいちばん自分を愛して』(中野裕弓著)や、よく読んでいた育児書に載っていた「自己肯定感」という言葉を持ち出し、「俺には愛が足りない!もっと俺を愛せ!」などという恥ずかしい要求まで出る始末...

   *   *   *   *   *   


そんなある日...(今年1月半ば)

普段は疎遠な実妹からメールが来た。 正月に夫婦喧嘩で実家へ帰らなかった俺を気遣ったのかどうかは分からないが、妹はあるサイトを紹介してくれた。

 辺境ラジオ (MBS)

大阪のほうだけでたま~に(年に1~2回)やっているラジオの深夜放送だ。ポッドキャストで過去の放送は全部聞ける。で、そこで語られていた「愛」に関するウンチクで... 何というか、俺はたぶん、救われた。

要旨はこんな感じ。

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「愛」というのは少なくとも2つの概念で成り立っている。
1つは「同一化」。もう1つは「敬意」。

同一化とは、相手のことを知りたいという気持ち。
敬意とは、相手のことが分からないと認める気持ち。

人間が誰かと出会い、好意を抱くと、その相手を知りたいと思う(同一化の欲求)。そしてその欲求を少しずつ叶えて同一化が進むと、やがて「知りたい」が「知っている」に変わってゆく。

その「同一化した」と思っている状態が危ない。その状態で相手が自分の理解を超える言動をすると、「ありえない、俺ならこうするのに、なんであいつは...」と猛烈な怒りに襲われる。価値観がすべて同一でなければならないと思ってしまう...

そこで大事なのが、相手への「敬意」(リスペクト、余地)。相手には相手の生活があり、自分には思い量ることのできない何かがある。それを無条件に認め、わからない(同一化できない)ままにしておく余地が必要。

「愛」の中身が「同一化」だけになってしまってはいけない。車の運転に喩えると、「同一化」はアクセル、「敬意」がブレーキ。ブレーキのない車は大変なことになる...

(結婚生活の秘訣)相手がどれほど理解を絶する共感できない振る舞いをしていても、温かい眼差しで「何やってるんだろう?」と思うことが大切。やっている本人の内側には必ず、主観的には首尾一貫した合理性がある。

自然現象を見つめる目と同じ。ランダムに起っていると思われる自然現象の背後に、ある種の数理的な秩序や摂理を...

人間の知性とか霊性というものは、わけの分からないものに向き合ったときに、優しい、深い眼差しを向けられるかどうか...
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そうだったのか...

出会って以来、20年以上に及ぶ俺たちの「議論」は...


放送では、愛が同一化に蝕まれるのを防ぐ方法として、親しい間柄でも敬語を使うことを勧めていた。何故か世間では、友だちや恋人同士、夫婦、親子など、親しい間柄ほど、短くて暴力的な言葉が使われているが、それでは「意味のある」深い会話はできないという。

俺は妻にも放送を聞かせ「よし、今度から喧嘩するときは敬語な」と宣言した。実際に2度3度やってみると、怒りと敬語が体内でぐじゃぐじゃになって何とも胸糞悪かったが、とりあえず以前のように怒りが加速度的に湧き上がってくるのは抑えられた。さらに敬語だと、上から物を言うのが抑えられるので、無駄に相手を怒らせることも防げたような気がする。

しかし俺たちにこの「敬語ゲーム」は定着しなかった。英会話の練習の「今から日本語禁止な」と同じだ(笑)。人間は必要もないのに面倒なことはできない。

でももはや、そういう「お芝居」は必要なかった。俺たちが喧嘩に至る構造(普遍的な愛の法則)を知ったことだけで十分だったのだ。俺はにわかに、す~っと力が抜けてゆくのを感じた。


そうだったのか...

妻は自然現象なのだ。

そう思うと、不思議と怒りはす~っと消えてなくなる。虹や雲を見るように、花や小動物を見るように、優しい眼差しを向けることができる。

すると今度は自分に対しても、同じような優しい気持ちになる。子どもに対しても、世間に対しても... 人は皆、神秘的で完全な小宇宙なのだ。


そうだったのか...

今、俺の心には、この歌が流れている...


 ♪ いつかは誰でも 愛の謎が解けて
       ひとりきりじゃいられなくなる... ♪

              佐野元春 『SOMEDAY』 より


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※ 今回引用したのは『辺境ラジオ』2012年12月30日放送分の開始後17分~39分ぐらいまでの部分です。「愛は同一化と敬意である」の他にも「“自分らしさ”は呪いである」など興味深いことが語られてます。その他の放送日も面白いです。地方局の深夜だからこそ言える深いぶっちゃけトーク(政治ネタなど)が繰り広げられてますんで、興味のある方は是非聞いてみてください!wink

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2013年3月14日 (木)

ビデオ撮り完了!

『育休編』終了まであとわずか。ここに来てブログの更新が滞っていますが、この1週間ぐらいはユーチューブ動画をアップするための準備をしていました。

なんせPCいじりが苦手なもので、ミニDVのテープをデジタルに変換するとか、いろいろと悪戦苦闘していました(汗)。いつもはこういうことは妻任せなのですが、今回はネットで調べて何とか自力で解決。ちょっとだけPCスキルが上がりましたよ(笑)。

で、肝心のビデオ撮りですが、おととい昨日の2日間で一応、今回アップする予定の2曲を撮り終わりました。けっこう大変でしたよ。ふ~っ(汗)。

1曲目はもう随分前から歌っている『大往生』。これはまあ、すんなりと。3回ぐらい歌って、とりあえず満足するのが撮れました。

手こずったのは2曲目の『力を抜いて』(このブログのエンディング曲、笑)。これは歌い慣れていないので、歌詞は噛むは、コードは押さえ間違えるはで、全然最後までたどり着けない...crying。壁にカンペは貼ってあるんだけど、それでも間違う。一瞬でも詰まったらアウトだし、どうして手や口が勝手にそう動くのか...。 間違えずに歌うことで頭が一杯で、なかなか気持ちが込められない... く~っ bearing

ライブなら泣いても笑っても1回こっきり。多少噛んでもコード間違えても、強引に突き進むのがいつもの俺(苦笑)。でもビデオだとね...

撮り直すこと実に28テイク。うち何とか使えそうなのはわずか数テイク。う~ん... 仕方がないので(もう疲れてしまったので...)この中から選びます。完全に満足はしてないけど、まあ、最初っからあんまり上手いと、成長の喜びもないしね(笑)。まずはこんなもんで。

というわけで、出来上がった動画はこのブログの最終回で公開します。ブログの最終回まではあと7回ぐらい。予定の3月中に終わらせられるよう頑張ります!


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2013年3月 7日 (木)

子どもはみんな...

子育てを始めて8年半。息子が生まれた日のことは、もはや遠い日の思い出。娘(5歳)も、もう全く赤ちゃんではない。俺にとっては、小さな子どもを連れて奮闘する微笑ましい新米パパの時代はすでに終わった。

このブログは純粋な「子育てブログ」ではなかったので、育児ネタはついつい後回しになり、書きそびれたこともいろいろある。

そもそも育児って、次から次にネタになりそうなことが起こりすぎて、とてもじゃないけどブログが追いつかないのだ。

PCのメモ帳にはせっかくメモが残っている。『育休編』の終了にあたり、今までの子育てで感じたことを最後にいくつか書き加えておこう。


子どもはみんな国際人

「NOと言えない日本人」などと言われるが、うちの子どもを見ていると決してそんなことはない。欲望と自尊心の塊、相手の都合よりも自分の都合。安易にYESといわない、謝らない。少しでも自分が得をするよう、いつでも頭をフル回転させている。

親に対して圧倒的に弱い立場でありながら、この気概と外交術。このまま行けばもう立派に国際人だ。奥ゆかしい日本人的性格は、成長とともに育まれる後天的なものなのですね(笑)。


子どもはみんな大物政治家

言った事も言わないと言い、言わない事も言ったと言う。真顔でね(笑)。都合の悪い約束は忘れ、有利な約束は絶対に守らせる。逆ギレ、恫喝、泣き落とし... なんと立派な政治家気質。

娘が3歳の頃、風呂上りに素っ裸で走り回る娘に「パンツはいたの~?」と言ったら「はいた~」と...

お出かけ前、娘を念のためトイレに座らせ、ちょっとその場を離れる俺。案の定、トイレからは「シャ~♪」というおしっこ音。俺が戻ってきて「おしっこ出た?」と聞くと「出なかった」と...


指示待たない人間

よく新入社員などが「指示待ち人間」などと批判されているが、うちの子どもたちは全く逆。何か新しいことに挑戦するとき、ちょっと説明し始めただけで「あ、わかった、わかった」とすぐに自分でやりはじめてしまう。「まずは説明させろ」「まずは俺が見本を見せる!」と思うのだが、子どもたちは待てない。

アドバイスにも耳を貸さない。折り紙、オセロ、縄跳び、ピアノ... ちょっとでもコツを教えようものなら、「知ってる!」と機嫌を損ねる。どうしても教えたい場合は、腫れ物に触るように、下からそ~っと、でなくてはならない。

サッカーも野球も相撲も自分勝手。基本ルールさえ受け入れない。俺が「こういう時はこうだよ」と言っても「いいのっ!」と言ってマイ・ルールを作り出す。そのルールに則って、しかも9:1の割合で勝たせてあげないと、泣いて終わりになってしまう。俺は遊んでいてもつまらない(苦笑)。

ホント教えられるのが嫌い。効率よく正解に導いてやろう、真の面白さを教えてやろうという大人の優しさは、たいていの場合徒労に終わるか逆効果だ(泣)。

指示待ち人間。これもまた、成長とともに育まれる後天的なもののような気がする。


子どもはみんな天才(?)

ベタな話だが、やはりそう思うことがたまにある。子どもは何が楽しいか、何がつまらないか、すべて知っているのだ。自分が輝くために、最高の気分で生きるために、一直線に進んでいく。

他人との競争なら天才は一握り。でも自分の中にある最高を発揮する力は、どんな子どもも持って生まれてきているのだ。

息子が2歳か3歳、保育園のハシゴ的な遊具で遊んでいたときのこと。息子は隣で同級生が最上段まで登っているのをまるっきり無視して、わずか2段目あたりから、「見て見て~、すごいでしょ!」って(笑)。すぐに他人と比べてしまう俺にとって、息子のあのマインドは感動だったな。(関連記事:『印象的な光景』)


子育ては楽しい。

上述のような出来事を通して、人間とは本来どういう生き物なのかを垣間見ることができるし、わが子の厄介な性格を見て、「これって俺のDNA?」と自分を再発見することもある。

子どもの成長を1つずつ追体験することで、何だか俺も、もう一度人生をやり直しているような気分になるし、それは一度見た映画をもう一度見るように味わい深い。


子どもと年がら年中一緒にいて、怒ったり笑ったりしていると、俺も案外、子どもと変わらないなと思うことがある。つまらないことで張り合ったり、いじけたり、はしゃいだり... もしかしたらそのどれもが、俺の個性、輝き、なのかもしれない。

「育児を通して人生を哲学するブログ」はもうすぐ終わるが、これからもまだまだ学ぶことは多そうだ。


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2013年3月 1日 (金)

お気に入り編集テープ

 ~ カセットテープ・ミュージック(7)最終回 ~

昔のカセットテープを聞き返しながら1人で思い出に浸るこのコーナー(笑)。最終回の今日は番外編。バンドをやっていた頃、仲間たちが作ってくれた「お気に入り編集テープ」。自分の音楽性を主張するため、無知な俺を啓蒙するため、何人かの友だちがせっせとダビングしてくれたものだ。いろんなバンドの代表曲がオムニバスに入っている。

SHADY DOLLS とか 横道坊主 とか... 濃い~パンクとか...
「こんなのコピーしたら面白そう」というアニソンとか...(笑)。

最近はこういうのないなあ。「これ聞いてみてよ」って自分の趣味を押し付けあう、みたいな。これから本格的に音楽活動をすれば、またそういう仲間に出会えるかな?

ちなみに俺が自分用に編集した「ギター課題曲集」や「ベース課題曲集」ってテープも残っている。ギターは BOφWY の B.BLUE とかプリプリの GET CRAZY とか。ベースは Johnny.B.Good とか MAMA KIN とか... もう全然弾けないけど(苦笑)。


カセットテープって、80年代、90年代のノスタルジーだよな。音が微妙に劣化しているのも味わい深い。今の若者にはない俺たち世代の宝物だな...


   (カセットテープ・ミュージック 終!)


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